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エリス・レジーナと名曲『O Bêbado e a Equilibrista 酔っ払いと綱渡り芸人』

先週、名曲『O Bêbado e a Equilibrista 酔っ払いと綱渡り芸人』解釈続編 を書いたあと、映画「Elis」をもう一度みたくなり、4年半ぶりに視聴しました。 この映画は、ブラジル軍事政権下(1964年―1985年)、多くの知識人や文化人が検閲を受け、拉致され、拷問され、亡命を余儀なくされた時代に生きたブラジル国民的歌手エリス・レジーナ Elis Regina の半生を描いた作品です。

日本では未公開なので日本語の字幕つきはないのですが、映画全編がYoutubeに載っています。

この映画に関して以前書いたブログに全編のリンクを追加したので、この記事では、Youtube FFTM - Brazil Film Fest Trontoチャンネルにアップされている英語字幕付きのトレイラーを紹介します。

余談ですが、トロントブラジル映画祭も面白そうです!

2度目の視聴では、特に「O Bêbado ~」と関わりのあるシーンに注意しながら観ました。

事前に歌詞を深堀りしていたことで、エリスとこの曲の関係が5年前に観たときよりもさらによくわかりました。

O Bêbado ~」を軸に、あらすじの一部を映画ライター風にまとめてみました。

(もっと端的に書きたいのですが、盛り込みたい箇所をどうしても削れません💦

ライターとか編集者には向いてないな〜とつくづく思いますが、書くのが大好きなのでブログに自由に書いてます!)

エリスは、19歳の時、生まれ故郷のリオグランデドスルから歌手を夢見てリオデジャネイロに転居し(1964年)、その非凡な才能と大胆な行動力で一気に世界的スターの座へ駆け上がる。

一方で、軍政は名だたるミュージシャンに影を落とし、仲間が次々と軍に拘束されていく。

ヨーロッパツアー中のパリでの記者会見(おそらく1968年~1969年頃)でエリスは軍政を揶揄した発言を行い、ブラジルに帰国後、ある日、警察と名乗る男たちが自宅に来てエリスは連行され軍による尋問を受ける。 「お前はヨーロッパで我々を馬鹿にするようなことを言った。我々に何か不満でもあるのか」 「お前は質問できる立場にはない。質問できるのは私だけだ」

「お前には息子がいて、夫とは別居中だな。お前の振る舞いは母親として失格だ」 「獄中者(友人のミュージシャン)に会いに行くとは人前に立つ資格はない」

「新しいアルバムにシコ・ブアルキ Chico Buarqueの曲を収録したそうだな。検閲にひっかかったぞ。お前もシコ・ブアルキの作った曲がどうなるかは、知っているだろう(と言いながら、曲名が書いた紙に大きなバツを書き、引き裂く)」 エリスは耐え難い侮辱と精神的拷問を受けたあと、陸軍オリンピック(1972年)で歌わないかとオファー(命令)される。

幼い息子を守るため、彼女はオファーを受け(命令に従い)、軍部に連れられ、陸軍オリンピックで歌う。 【MIDORi補足コメント:様々な情報には「国歌を歌った」とありますが映画ではイバン・リンス Ivan Linsの「マダレナ Madalena)」を歌っています】 この行為が反体制派の怒りを買うことになる。

O Bêbado ~』の歌詞にも出てくる風刺漫画家のエンフィウ Henfil は、エリスを埋葬する風刺漫画を反軍政系週刊誌『パスキン O Pasquim』 に掲載する。 ファンだった聴衆は態度を一変させ、エリスに向かって大ブーイングを浴びせる。

時は流れ(設定からすると恐らく1974年頃)、エリスはショーの打ち上げ会場のカフェで偶然エンフィウをみつけて近づき、「陸軍オリンピックで歌ったのは息子を守るためだった。私は脅されていた。だがあなたは私を葬った。あの風刺画のせいで散々な目にあった」と彼に詰め寄る。 エンフィウは、「君は俺の兄を拷問した軍のために歌った。君がウィスキーやシャンパンを飲んで楽しんでいるこの瞬間に、地下室で酷い殴打を受け死の恐怖に怯えている人々がいる」と言い返し、エリスは何も言えずその場を立ち去り店を出る。

二人の様子を見ていたニ番目の夫、セザル・カマルゴ Cesar Camargoはエリスの後を追いかける。


抑圧下、信念と恐怖の狭間で悩み苦しんできたエリスはセザルに泣き叫びながらこう言い放つ。

" Eu não quero mais ser controlada. Eu quero ser livre. A única coisa que quero fazer na minha vida é cantar! " もうこれ以上誰にもコントロールされたくない。私は自由でいたい。私の人生でやりたいことは、歌うことなのよ!

再び時は流れ((設定からすると恐らく1979年頃)、エリスは『 O Bêbado e a Equilibrista 酔っ払いと綱渡り芸人』をレコーディングしたあとエンフィウと再会し、録音したテープをエンフィウに聴かせ、この曲は自分の意志で歌ったこと、自分のキャリアを決めるのは自分自身であること、自分が必要だと思うことだけをやるとエンフィウに伝える。エンフィウは驚き、納得した表情を浮かべる。


【MIDORi補足コメント:のちにエンフィウの兄は恩赦を与えられてブラジルに帰国し、この曲は恩赦の讃美歌となりました】

この映画に限らず、故人を描いた映画や伝記は、客観的な事実以外は故人と関わりのあった人々の記憶を頼りにまとめられたエピソードの断片を集めたものであり、どこまで正確なのかは主人公と語り手以外誰にもわかりません。

「死人に口なし」をいいことに語り手は自分に都合のいいことしか話していないかもしれません。

結局のところ、本人のことは本人にしかわからず、映画や伝記は主人公を知るための補助的な情報に過ぎないと私は捉えています。


この映画もそういった視点で観ましたが、映画からも、エリスの数々のアルバム作品やエリス自身がメディアに語った映像や記事からも、エリスの一貫した信念が伝わってきました。 エリスが抵抗していたのは独裁に対してだけではなく「スーパースターとは、女とは、母親とは、かくあるべき」といった固定概念の枠に自分をはめようとする社会すべてに対してであり、誰にもコントロールされない自由を求め続けていたことです。 「O bêbado~」を自らの意志で歌ったことで、自身の尊厳を取り戻すきっかけになったのだと思います。


もう一つ気がついたことがありました。

解釈続編では「酔っ払い O bêbado」は「チャップリン」=「ブラジル国民」で、「綱渡り芸人 A equilibrista」は詰まるところ「希望 A esperança」だと書きましたが、綱渡り芸人はもしかすると希望だけではなく、エリスのことも指しているのかもしれないと思うようになりました。equilibrista に「a」という女性定冠詞がついているからです。 男性の綱渡り芸人を指しているとしたら「o」 equilibristaになっていたはずです。

不安定な状況でもバランスをとって前に進んで欲しいという作詞者アウヂールのエリスに対する応援歌にも聴こえます。


私の頭の中を図式化してみるとこうなります。 O (Povo 国民) bêbado: 酔っ払い(の国民 )= チャップリン A (Esperança 希望)equilibrista: 綱渡り(的な希望)= エリス


しつこいようですが、これは私の解釈ですので、読んで下さっているかたの解釈の参考になれば幸いです。

1982年、エリス・レジーナは独裁政権の終焉をみずしてこの世を去りました。享年36歳。

公式発表では死因は薬物とアルコールの過剰摂取による心臓発作とされています。

平均寿命に比べるなら短い人生ですが、

平均寿命と比べることに何の意味があるのか、私にはわかりません。

どのくらい生きたかではなく、どう生きたかが大事だと、尊敬する故人は教えてくれました。


エリスが身を挺して自分の信念を貫いたように、私もたとえ大多数の人とは違う意見であっても自分が信じることを発信し続けたいです。 表現の自由は民主主義社会に生きるものに与えられた最大の特権なのだと、エリスとこの名曲は教えてくれます。

最後に、映画サントラのリンクを紹介します、

どの曲も素晴らしいのですが、私が特に好きなのはO bêbado〜と、8曲目の『Cabaré』、10曲目の『Aos nossos filhos』です。