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慈眼寺参拝記~2日目新春護摩祈祷 後編~

🍀前回までの記事はこちらです🍀


12時40分。護摩堂に通され、等間隔の丸椅子に着座しました。

堂内は外部と繋がっていて、清らかな冷気に満ちていました。

頂いた3番の席は、塩沼大阿闍梨の御座に最も近く、護摩祈祷の一連のご作法を具に拝見できる席でした。


撮影はできなかったので、塩沼さんのInstagramより別日の護摩祈祷の写真を謹んでシェアします。

(2021年12月追記 塩沼さんのアカウントがリニューアルされ、シェアした写真がなくなっていたので割愛します)


13時。定刻と同時に、突然、丹田から心臓を通って百会まで一気に突き上げられるような太鼓の音が堂内に鳴り響き渡りました。

塩沼大阿闍梨のご入堂です。

着座された後、護摩供が厳かに始まりました。


流れるような作法に目が釘付けになり、続く読経の波動に心を奪われました。 正面の不動明王様にお顔を向けて読経されているのに、まるで護摩焚きの煙のごとく、お経は一度天に昇ったあと参座者に降り注ぐように伝わるのです。

口の向いている方向にまっすぐに声が伝わるのではなく、天に向かって発せられていて、円やかに参拝者を包み込むような声です。

一生かかっても真似できないと思いますが、この時感じた神聖な感覚を胸に歌ってみたい、そんなことを考えながら読経に聴き入りました。

護摩に火が灯され、みるみるうちに炎が大きく激しくなりました。

すぐに煙が立ち上り堂内に充満し始めると、寒かった堂内は一気に暖まれました。

事前のアナウンスで「煙で御気分の悪くなられた方は遠慮なく中座して頂いて構いません」と聞いていたので、どのくらい煙くなるのか想像がつかなかったのですが、気分が悪くなるどころか体が燻され清められていくような感じがしました。


勢いよく燃え盛る炎をみつめながら、炎の形をまざまざと見たのは生まれて初めだと気づきました。薪ストーブの炎はぼんやりと眺めていただけでした。

一瞬たりとも同じ形をとどめない炎は午前中にみた滝の流れと同じでした。


大阿闍梨の手により、護摩木が次々と投げ入れられました。

奇跡的にも沢山の護摩木の中から「あ、あれ、私の書いた護摩木だ!」と見つけることができました。3番の席のおかげです。

誰も苦しまず、生き辛さを感じない社会になってほしい。

一心に祈りました。 次に大阿闍梨は特別祈祷の申し込み書を手にされ、まるで我が子を見るような慈しみの眼差しで一枚一枚目を通されました。俯いておられる横顔から光る眼を拝見できたのも、3番の席のおかげでした。


こうして約1時間の護摩祈祷が滞りなく修行された後、大阿闍梨は私の前を通られて仏前に移動され、参拝者に向かって語りかけられました。

まず「今日一番遠くから来たと思われるかた」と質問されました。

背後のかたが「福島からきました」と仰ったので、反射的に挙手し「神奈川からまいりました」と言いました。

「ほ~神奈川から」と目を丸くされて、「神奈川より遠くのかたはいらっしゃいますか?」とたずねられ、どなたもいらっしゃらなかったので、私に話しかけてくださいました。


大阿闍梨「随分、重装備ですね笑」

私「はい!雪に備えてまいりました!」

(雪対策で周到に準備したら雪だるまみたいになっていました)

大阿闍梨「新幹線で?」

私「はい!」

大阿闍梨「そうですか、では前日こちらに来られたんですね。どこにお泊りになったのですか?」

私「か、か、か、かんかね温泉に泊まりました!」

大阿闍梨「そうでしたか、ご苦労さまです」

緊張のあまり頭が真っ白になり思い切り噛んでしまいましたが、大阿闍梨との思いがけない会話のキャッチボールは一生の宝物となりました。 その後穏やかにお話を始められました。

大晦日は雪かきで総出だったお寺の皆さんのためにおせちを作っておられたこと、

今年の抱負は「明るく、強く」、 そして「布施の心」についてご説法を頂いたあと、参座されていた高校の恩師をご紹介くださり、笑い話を交えながら気さくに心温まる思い出を語ってくださいました。


最後に「本来であれば煌びやかな法衣を着る身分ではありますが、私は常に小僧の心を持ち続けていたいので白の法衣を見に纏っています」と仰られました。


この時、私は長い間待ち望んでいた人にやっと会えたことを確信し、今後の人生で迷った時は塩沼さんの言葉を思い出そう、そして、常に初心を忘れず笑顔でありたい、そう心に誓い、慈眼寺を後にしました。


恒例だった参拝者の塩沼さんとの写真撮影も握手もコロナ禍で割愛されましたが、この日のことは生涯忘れない思い出として私の心の奥深くに刻まれました。


ステイホームが叫ばれる中での年末年始の遠出はギリギリまで悩みました。

しかし、自分なりに導きだしたコロナ対策の必要条件は満たしていたので決行に踏み切りました。今までもそうでしたが、熟考して決断し、あとは自然の流れに身を任せると、良い方向に進むものです。


おかげで、振れ幅の大きかった精神状態から、やっとプラスの方向へ意識を向けられるようになれたと思います。

翌朝、娘が帰省から戻ってくるタイミングに合わせて私も仙台を出ました。

テイクアウトして牛タン弁当も堪能しました。


またいつか、この地に戻ってきます。


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