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歳を重ねる幸せ

先日、イデオロギーに関するアルゼンチンの講義ノートを29年ぶりに訳し終えて、ふと思いました。


フランスやドイツで生まれた思想を第三国のアルゼンチンで学ぶということは、いくつものフィルターを通した内容を学ぶということで、地理的・文化的な違いによる影響はなかっただろうか、と。

ここでいうフィルターとは、翻訳や解釈という意味です。

私はできる限り誰かのフィルターを通さずに世界を知りたくて外国語を学んできました。


残念ながらフランス語もドイツ語もわからないので、アルゼンチンの講義内容についてフィルターの影響があったかどうかを直接検証することはできません。しかし、他の言語圏との比較、とりわけ言語グループの全く異なる日本語のイデオロギー解釈の歴史を辿ると、解釈に地理的・文化的な違いの影響があるかどうかが見えてくるかもしれないと思いました。


日本に注目し始めると、様々な疑問が浮かんできました。


「そもそも、イデオロギーという言葉を日本で使い始めたのは誰なのか?そしていつなのか?」

「なぜカタカナ表記にしたのか?」

「福沢諭吉が ”Liberty" を『自由』と訳したように、どうして漢字で表さなかったのか?」


さらに疑問は発展していきます。


「解釈の差は、個人間でも生じうるのでは?」


ここで、ある本を思い出しました。


以前、友人であり、私の最強応援団長と呼ばせて頂いている言語学者、長谷川宏教授から教わって購入した「統治理論の諸相 方法論序説/チョムスキー著 福井直樹・辻子美保子訳」を久しぶりに開きました。統辞理論との出会いの経緯については、過去記事「知の探求」に詳し~く書いています(かなり的外れと思われることも書いていますが、そのままにしておきます)。


当時意気揚々と購入したものの、難解過ぎて最初の5ページくらいで早々に脱落していました。自らの集中力と根気のなさを嘆かわしく思います💦

難しさは変わりませんが、今回は内容がすっと入ってきて、ゆっくりでも読み進められます。おそらく具体的な疑問を抱えながら読んでいるからだと思います。ページを捲るたびに、漠然と頭の中で作ってきたイメージが、本の中ではすでに言語化されているのを発見し、一人で感動に浸っています。それは例えるなら、老眼が進み初めて老眼鏡をかけた時に感じた鮮明さのようであり、知らない土地で食べたことのない美味しい食べ物に出会った驚きと喜びの感覚に似ています。

教えて下さった長谷川さんに改めて感謝です🍀


もしかしたら、統辞理論との関連性は全くの見当違いかもしれません。それでもいいのです。興味を持って知識が増えると理解力もアップします。それが楽しいのです。


この本に限らず、時間が経って読み返してみると「そういうことだったのかー!」と理解できることが沢山あり、歳を重ねて得られる幸せとはこういことなのかと、しみじみ感じています。


知の探究は人類だけに与えられた最大の娯楽だと思います。真にその楽しさを知った者は、どこでもいつでも逞しく生きられるような気がします。

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