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人権

2018年のノーベル賞平和賞は、コンゴ民主共和国のドニ・ムクウェゲ医師と、イラクの少数派ヤジディー教徒の権利擁護を訴えてきた活動家のナディア・ムラド氏に授与されました。 授賞式で両氏は、戦時下の性暴力の被害者を保護するよう世界に訴え、紛争に巻き込まれた女性や子どもの窮状に対する無関心を非難しました(AFPニュースより)。 世界的なムーブメントとなった「#MeToo」を初めて私が目にしたのは、去年10月、メキシコ人の友人がシェアした投稿でした。 「みんな、声を挙げよう!」と呼び掛けたメッセージを読んで自分も経験を書こうと思い立ち、スペイン語で書きました。以下は日本語訳です。

”中南米にいるとき、街を歩くと「かわいい中国人ちゃん」といったようなpiropo(冷やかし)をよく言われていました。すごく嫌でした。 しかし、当時は、私は彼らからすれば外国人であり、それが彼らの文化や習慣なのだから我慢しなければならないと思っていました。 しかし、今は違う考え方です。人種的性的差別だったと思います。 日本にも性的被害にあったことのある女性がたくさんいます。しかし、その事実を声に挙げることを社会が阻んでいます。被害女性に対して何らかの差別的意識を抱くような社会だからです。それは絶対にあってはならないことです。

 

私の経験は身体的な接触ではないにもかかわらず、非常に不快な体験として記憶に刻まれています。 耐え難い性的被害に遭われた被害者の苦悶はいかばかりかと、MeTooをきっかけに考えるようになってから、ある晩こんな夢を見ました。


以前知り合った知人で社会的信頼もある男性が突然夢に出て、いきなり私の身体を後ろから羽交い絞めにして触り始めました。この人がこんなことをするなんて、と絶句し、体が硬直して動けなくなりました。声も出なくなりました。

しかし我に返り、すきをねらってふり切って逃げました。 嫌悪感と怒りで吐き気に襲われました。そこで、目が醒めました。

未だにその夢は忘れられません。ただの夢、なはずなのに、生々しく記憶に焼き付いています。


12月26日、フォトジャーナリストの広河隆一氏ををめぐる性的被害のニュースが流れました。「#MeToo」と同じく、Facebookで知りました。

あの広河氏が?、と愕然と受け止めた人は一杯いると思います。一部報道によると、広河氏は被害者の女性たちもそう望んでいるだろうと思っていた、とのこと。

全く根拠のない独りよがりの推測で、被害者の人権を無視しています。

ジャーナリストに最低限必要な要素がそもそも欠けていたことを自ら認めた発言です。

広河氏のように、目に見えるところでは評価が著しく高いが、見えないところでどす黒い部分を持っている人が世の中にはいます。なんとなく、前述の夢が広河氏の一件と通じるものがあり、まるで人を社会的評価で信用してはならないと警告しているかのようだったと、今になって思います。


どす黒い部分を持っている人は、自分の気に入らないことがあったり、勝手に根拠のない推測をし激昂して人を罵り、故意に意地悪しては、「そうさせる相手が悪い」と他人のせいにします。その傍らで、他人が被害に遭っているのを目撃したにもかかわらず、自分が直接の被害者ではない場合、「自分に対してはそうではないから」「素晴らしいところもあるから」あるいは「何か言うと今度は自分がターゲットになるかも」と恐れて見て見ぬふりをしている人々がいて、そんな周囲の弱腰が加害者のどす黒い部分を間接的に大きくしていることには気がついていません。


しかし、世の中には看過しない、毅然としたかたも存在します。

私は、Facebookで繋がっている、ヒューマン・ライツ・ナウ代表の伊藤和子弁護士さんの投稿を読んで感銘を受け、救われた気持ちになりました。


ご自身のブログでこう書かれています。

「人権に対する活動で広河氏と一緒に行動する機会のあった者として、その陰で行われていた人権侵害に今まで全く気づくことができなかったことを、被害者の方々に心からお詫び申し上げたいと思います。」

直接的ではなくても、間接的に社会や被害者に何らかの影響を与えてしまったかもしれない、と自覚したとき、すぐに行動に移された伊藤さんは素晴らしいと思います。

伊藤さんのように私たちはもっともっと自分自身の行動に注意深くあるべきだと思います。

性的被害者の人権が守られている、と言える状態は、「被害者にも責任がある」などという愚かな考えが消滅し、 被害者の方々に偏見を持たず愛してくれる男性が普通にあらわれ、お子さんができたときそのお子さんが自分の母親の被害と苦しみを理解し、なんの負い目も感じることなく正々堂々と生きていけるような社会になった時だと思います。

性的被害の声を挙げられた被害者女性をはじめ、全ての被害者の人権が守られることを心から願っています。

 

性的被害に加え、今年はパワーハラスメントの問題もフォーカスされました。

スポーツ界のみならず、日本の悪しき伝統の中で埋もれているパワハラがまだ一杯あります。


人間関係に上と下などないはずです。

年上であろうが年下であろうが、

男であろうが女であろうが、

大人であろうが子どもであろうが、

一人の人間として敬意をもって接しあうべきではないでしょうか。


来年は、より鮮明に「人権」を意識して、音楽の方も、ライフワークの難病支援の方も、尊厳と誇りを持って活動していきたいと思っています。


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