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自分の思考は自分のもの

私は、個々人の考えを尊重します。

自分と違う考えであったとしても同じように考えろと強要されない限りそんな考えもあるんだと認識するだけです。一つ考えが違うからといって相手の人格までをも全否定するような愚かなことはしません。それは自らを論理的議論能力のない人間と認めるようなものです。

それは宗教観も然りです。特定の宗教に傾倒しているからといって偏見を抱くことはありません。しかし、宗教を勧められたり強要されたら拒絶します。


かつて独身の頃、同僚に誘われてある宗教団体に行きました。

利他のためという考え方に賛同し、早朝の清掃奉仕活動などにも参加していました。

ただ、活動の一環の「勧誘」だけがどうしても受け入れられず、結局離れました。

それ以来、宗教とは一線を画しています。

年末年始、塩沼亮潤大阿闍梨に会いたいと思って仙台に行ったのは、テレビで塩沼さんの数々のお話しを聴いたあと、パリ在住の作家辻仁成さんとの対談、”ザ・インタビュー大阿闍梨 塩沼亮潤「宗教とはなんぞや」”を読んだのが決めてとなりました。塩沼さんはインタビューで「私は宗教というのが好きではない」と仰って正直これには意表を突かれました。インタビュー記事を読んで頂ければその真意がおわかりになると思いますが、私も「自分の信じる宗教の創始者がそう言うから」を判断基準にはしません。参考にするかどうかも含めて判断は自分が行い、自分の考えに責任を持ちたいからです。塩沼さんのファンではありますが、だからといって「塩沼さんがこういわれているから」何かを選択するのではなく、また、仏教から教わるところはあっても、深く帰依するつもりはありません。 再び実体験の話になりますが、かつて、自分の生き方や考え方を否定され変えるように強要されたことがありました。悩んだ末に私はその状況を離れる決断をしました。自己の人権と尊厳を守るためです。あの時決断してよかったと心底思います。

そして、そういった選択の自由があるというのはなんと恵まれたことだろうかとも思います。

ミャンマーや香港をはじめ、国家権力から弾圧を受けている人々は選択できません。自由を奪われ、今この瞬間も、命をかけて権力と闘っています。


在日ミャンマーの人々がコロナ禍でデモを行うことに否定的な発信をする日本人がいました。そういった人々はおそらく民主主義が空気や水と同じように当たり前に存在する日本社会でしか生きたことがなく、 人権を奪われる屈辱を想像できない鈍感な人たちなのだと推測します。 コロナ感染の危険性を問題視するための発言だったとするなら、デモ行為そのものには理解を示す配慮がほしかったです。

ある日、国際問題を語り合える親友とやり取りしていて、「ミャンマーのニュースが流れるたび、何もできない無力感にさいなまれている」という話をしたら、 親友が「在日ミャンマー人の営むお店の売り上げに貢献するのはどうか」と提案してくれました。とてもいい案だと思いました。同時に何もできないと決めつけていた自分を反省しました。


いくら声を挙げたところで何も変わらないと諦めず、小さな一歩がいつかとてつもなく大きな影響力に繋がると信じて発信しようと思います。私たちには表現の自由が保証されているのに、権利を駆使しないのはもったいないです。ネット社会においては、何も言わないのは何も考えてないのと同義です。


改めて声を大にしていいます。

言論の自由を武力で奪い民衆を支配する軍事政権を絶対に許しません。


写真は、1999年に仕事でスペインに行った時に購入したものです。

1939年から1975年まで、スペインはフランコ独裁体制下にありました。

この本は1936年から3年間にわたりファシズム抵抗運動を展開した市民戦争の回顧録です。名もなき大勢の市民の声が412ページに詰まっています。


ミャンマーや香港でスペインの悲劇が決して繰り返されないことを祈り続けます。

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今日明日とNHKハートネットTVが医療的ケア児を取り上げています。 1992年、リンパ管腫の治療を受けるために来日したメキシコ人のカルロスちゃんと家族の通訳をしたとき、気管切開と胃ろうのケアのため両親は4時間以上連続して寝たことがないと聞いて家族の大変さを思い知らされました。 日本の親御さんたちも長い間同じような状況を強いられてきました。今年やっと医療的ケア児の支援を強化するため厚労省が報酬の見直