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10/21 配信開始 映画「ARGENTINA 1985」

私がアルゼンチンに留学した理由は、軍事政権の時代に何が起きていたのかを知りたかったから。

自由を奪われた人々は何を考えどう行動したのか。

そして、いかにして再び民主主義を取り戻したのか。


1976年から1983年、アルゼンチンでは軍が政権を握っていた。

軍政が崩壊し民政移管に至った大きなきっかけは英国とのフォークランド戦争の敗北だが、軍政下にあっても恐怖に屈せず自由と権利を守り抜こうとした人々が存在し続けたからこそ、民政移管は実現した。


1983年に行われた民主的大統領選挙で選ばれたのは、軍政時代の残虐行為を検証することなく恩赦を与えようとしたペロン党のÍtalo Luder イタロ・ルデル氏ではなく、軍責任者を裁判にかけると公約した急進党のRaúll Alfonsín ラウル・アルフォンシン氏だった。


この映画は、1985年に行われたその歴史的裁判の模様が描かれている。

依然脆弱な民主主義社会で、法の番人はどのように動いたか。

とても興味深い。


9月末、アルゼンチンで先行封切りされた。

記者会見で監督とキャストが映画制作について語る模様をニュースでみて、私はこの映画を絶対に見なければならないと思った。


今日、10/21にAmazon Prime で配信が開始されるとのこと。

おそらく、アメリカ時間に合わせての配信だろう、今朝検索してみたがまだ出てこなかった。

今晩また確認してみよう。


戦争を終わらせるヒントはきっと過去の歴史にあるはずだ。


※カバー写真は、1992年、留学時代にボカ地区で撮影した一枚



2022.11.1 追記


映画を観終わって。


アルゼンチンは自分たちの手で過去を検証し、法のもとに犯罪者を裁いた。

我が国はどうだったか。

敗戦国となった日本は東京裁判で連合国に裁かれ、戦争犯罪者の責任を自ら問うというプロセスを経なかった。だから、いつまで経っても日本人の多くにとって民主主義は与えられたもので、空気のように当たり前な存在となり、その尊さに気づかない。

悪事をなかったことにする政治家が後を絶たないのは法の機能不全と専門家任せにして自ら考え行動しない日本人の悪習に起因する。


アルゼンチンに自浄作用が働いた大きな要因の一つに、軍政の歴代責任者を裁くという歴史的裁判に経歴のない若手弁護士が多数起用されたことが挙げられる。

経験豊かで有能な人材は軍からの報復や恐喝を恐れて検察チームへの参加を悉く断る。そこで、主人公の検察リーダーと影の支援者は発想を180度転換し、全くの未経験者の若者を採用した。彼らは機動力と体力と新しい視点で全国を飛び回り確たる証拠を次々と収集した。


また、副検事を務めたのは、軍関係者を家族にもつ法学者だった。自分の親戚を敵にまわすことになり嫌がらせを受けるが、信念を曲げずに任務を全うした。

検察チームのリーダーは、論告を作成するにあたり、妻や、少年の息子の意見に耳を傾けた。

しがらみや常識、伝統にとらわれない新しい感覚がアルゼンチンの歴史を変えた。


この映画が世界各国の言語に訳され世界中に配信されていること、そしてアルゼンチンという国に留学できたことを改めて誇りに思った。


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