top of page

大きな転機 その1

人生には節目となる出来事がある。 今年私は大きな節目を2つも同時に迎えた。 今日はそのうちの1つについて書こう。 ちょうど今から31年前、大学卒業を直前に控えていた頃、ボランティアのスペイン語通訳として「リンパ管腫」という難病の患者支援活動「カルロスちゃん基金」に携わり、言語の面でサポートを続けた。その10年後(今から20年前)、一介のスペイン語通訳者に過ぎなかった私が「カルロスちゃん基金」の活動を受け継ぎ、世界中のリンパ管腫患者を支援する「特定非営利活動法人荻田修平基金」を立ち上げることになった。「NPO法人リンパ管腫と共に歩む会」の前身である。

きっかけは、リンパ管腫ピシバニール治療の生みの親で「カルロスちゃん基金」を設立したリンパ管腫治療の世界的権威・故荻田修平小児外科医から、亡くなる直前に理事になるよう頼まれたことだった。医療関係者でもなく社会経験も乏しかった私に一体何ができるか不安で一杯だったが、私を信頼し託したいと思ってくれた荻田先生の想いを尊重し覚悟を決めた。


荻田先生は「任せた以上は護らなあかんな」と思われたのだろう、難題につぐ難題に見舞われ幾度となく押しつぶされそうになったが、そんな時は決まって手を差し伸べてくれるエンジェルみたいな人が目の前に現れ助けてくれた。数えきれないほどの多くの善意に救われ、人は独りでは生きていけないことを学んだ。 ようやく団体の運営を次世代に繋ぐ目途がたち、20年目の今年、運営の役職を退いて監事に就任した。ところが、事務局対局直後に後任候補者が辞めるという不測の事態が起きた。最後まで一筋縄ではいかなかった。体制立て直しに時間を要したが、今週に入って新しいスタッフが決まりやっと落ち着いた。 理事としては、退任前の「最後の仕事」として、以前ブログにも書いた疾患名の問題に取り組んだ。ここ数年で疾患名が「リンパ管腫」から「リンパ管奇形」へ移行しつつある流れに対して言語の専門家の一人としてこの問題を放っておくわけにはいかなかった。

今年の2月から3月にかけて一般社会を対象に「リンパ管奇形」に対するアンケートを行い、回答結果の報告書を作成し、報告書を根拠に厚生労働省、日本医学会、日本血管腫血管奇形学会に疾患名見直しの要望書を提出、プレスリリースを厚労省内にある記者クラブに配布した。 山が少しずつ動き出した。 あるメディアがこの問題を取り上げこの1か月間取材している。 さらに、取材が入ったことで関係機関からも反応があった。 【2024年1月追記】 2023年10月末、取材した共同通信社の記事配信がスタート。 現在も掲載紙は増え続けている。 記事タイトル:新病名の「リンパ管奇形」議論に 患者に苦痛、見直しを要望

(掲載紙)

毎日新聞夕刊、高知新聞、山口新聞、宮崎日日新聞、MEDIFAX、千葉日報、静岡新聞、埼玉新聞、北日本新聞webunプラス、岐阜新聞Web、難病・希少疾患 情報サイト RareS.(レアズ) 中経オンライン

何かを行動に移すには莫大なエネルギーが必要だが、やるべきことをやるべきタイミングでやるときには必ず追い風が吹く。 2つ目の大きな転機も、まさに同じような展開だった。 (「大きな転機 その2」につづく~) *写真は2002年12月に荻田先生から郵便で送られてきた「カルロスちゃん基金」会則。 受け取ったバトンは重かったが、20年間一度もバトンを落とさず次の走者に渡すことができた。


bottom of page