top of page

ショコラとのお別れのこと

今日は故愛猫ショコラの月命日です。3か月が経ちました。


ショコラがこの世からいなくなった瞬間、世界は灰色になりました。

何を食べても砂をかじっているようでした。

体中から水分がなくなるほど、泣き明かしました。

哀しみに蓋をせずそのまま受け入れようと日々過ごしていくうちに、少しずつショコラのいない生活には慣れていきました。

しかし、ふとしたことでショコラを思い出し涙します。


おそらく生涯この繰り返しなんだろうと思います。


最も思い出したくないショコラとのお別れを書くのは胸をえぐられるような辛い作業ですが、やらなければいつまでも真の意味で前に進めない気がしたので、3か月経った今日、書こうと決めました。とてもとても長いです。

自分の心の整理のために書く記事ではありますが、同じように哀しい別れで辛い想いをされている方や、これから経験しなければならない方にとって少しでも慰めになれば本望です。

 

2020年2月22日 午前4時半。


私の足元で寝ていたショコラが目を覚まし、いつものように枕元に移動した。

普段ならスリスリしてぴったりくっついてから再び寝始めるのに、その日はすぐにベッドから降りて床に吐き出した。吐くことはこれまでもよくあったので、さして驚かなかった。眠気眼でベッドから起き上がり、トイレットペーパーとアルコール消毒とゴミ袋をとりにいって吐しゃ物を掃除した。しかし、そのあと再び場所を移動してまた吐き、また移動して吐き、の繰り返しで、玄関まで移動した。数回吐くことも過去にあったので心配しなかったが、ちょっと回数が多いような気はした。

そのうち階段をトントンとあがり二階に移動した。落ち着いたかな?と思い、私も再度布団に入った。


6時半。目が覚めて胸騒ぎがして二階へ。

ショコラがいない。

和室の奥の納戸の入り口に失禁のあとをみつけた。目の前が真っ暗になった。納戸をひっくり返して探したが、どこにもいない。娘の部屋にいくと、ぐったりしているショコラがいた。呼吸が明らかにおかしかった。脱水症状をおこしているかもしれない。クリニックが開院するまでまだ2時間以上あるが、待てない気がした。以前市内の動物病院を探していたとき往診専門の獣医さんをみつけたことを思い出し、すぐに電話した。

「今から30分後にはいけると思います」約束通り来てくれた。あの時の安堵感は一生忘れないと思う。ショコラの状態をみてすぐに点滴を開始してくれた。しかしそれ以上の処置はできないとのことで、精密検査のできる動物病院に連れていくよう勧められた。優しい、いい先生だった。


9時。一年前に検診してもらった市内の猫専門クリニックに電話をした。 検診時はちょっとダイエットした方がいいけれど特に異常はないと言われていた。電話口に出た受付から詳細な説明をもとめられたので経緯を話したところ電話口に出た院長先生からこう言われた。


「うちはご予約優先なので申し訳ないのですが他のクリニックにお問い合わせください」


一番必要なときに診てもらえなかった。

ショコラが元気になっても二度と連れていかないと心に決めた。

気を取り直し、ショコラが初めてうちに来た日に連れていった隣市の動物病院に電話をした。その動物病院は設備が古いので「精密検査のできるところを」という往診の先生の言葉がひっかかり直ぐには電話しなかった。しかしこのクリニックの先生は経験豊富だし避妊手術も安心してお任せできたし、もうそこしかないと思い電話をした。

「すぐに連れてきてください」。

先のクリニックと対応が全く違った。

夫が運転し私がショコラを抱きかかえて連れて行った。車中、もしかしたらこのままショコラがいなくなってしまうんじゃないかという恐怖に襲われ、ショコラに「先生にしっかりみてもらって元気にしてもらおうね。元気になってもっと一杯遊ぼうね。もっと一緒に過ごそうね。」と話しかけていたら涙が止まらなくなった。嫌な予感がしていた。

到着するや否や、すぐに診察室へ。

診察台にのせるとそれまでぐったりしていたショコラが声を振り絞って泣き声を上げた。

もしかしたら、避妊手術の時のことを思い出したのかもしれない。胸がしめつけられた。

検温。

33度台まで下がっていた。

温熱ヒーターで保温しながら聴診。

肺の音は綺麗なので最も心配していた誤嚥性肺炎は否定された。ひょっとしたら吐いたときに喉を詰まらせて呼吸困難になったのではないかと恐れていた。

エコーも異常なし。

血液検査で血糖値が異常値を示した。糖尿病が疑われると言われた。あるいは心筋症も否定できないとのこと。一時的に高くなったのか、もしくは慢性化していたかを調べるためには糖化グリコーゲンの値が必要だが、検査結果が出るまで一日かかるので一旦家に連れて帰ってとにかく温めるように、もし慢性化していたら今後インシュリン治療が必要になるのでどうするか考えておくように、と言われたところで、ショコラが失禁したため、毛に付着した尿で尿検査をしたところ糖尿はマイナスだった。慢性糖尿病の可能性は低くなった。カリウムの値も低かったので、カリウムを投与された。

11:00 ショコラを連れて帰宅。土曜日だったが夫は仕事のためすぐに外出。娘もたまたま登校日で学校に行って不在だった。

すぐに床暖房をつけて温めたが、呼吸はよくなるどころか悪くなる一方だった。苦しみを取り除いてやれない辛さと情けなさと恐怖と孤独で一杯だった。 片時もそばから離れられず、少しでも良くなるよう「ショコラがんばって」と声をかけ続けた。まだ、よくなると信じていた。しかし、ある瞬間父の最期の姿と重なり、本能的に終わりが迫っていることを感じとった。「がんばって」から、「大好きだよ。」に、かける言葉は変わっていた。何度も何度もありがとう、大好きだよと言って撫で続けた。

一緒にいれなかった家族の分も何度も何度も何度も何度も伝えた。

13時半頃。 父の時と同じように、ショコラの顔が穏やかになった。

獣医さんに電話して死亡を確認した。

ショコラ、愛するショコラ。

さようなら、ショコラ。

14時。娘が帰宅した。

「ショコラ、起きてよ。目を覚ましてよ。一緒に遊ぼうよ。」と泣き叫ぶ娘が不憫でならなかった。最期に立ち会ってやれなかったことを悔やんでいた。私も、できるなら待ってやってほしかった。しかし、後々、ある方から「命の最期に立ち会うのは大人でも辛い。ましてや、お子さんにはどんなにつらいことだろうか。ショコラは敢えて娘さんに最期を見せないよう息を引き取ったんだと思う。」と言ってもらい、後悔はショコラへの感謝に変わった。ショコラが最後に選んだ場所は娘の部屋だった。病院から連れて帰ったときも、娘の部屋に寝かせてここで最期を迎えた。そう伝えると娘は少しだけ落ち着き、ショコラと一緒に写真を撮ろうと言った。


ショコラの鼻がピンク色からどんどん青っぽくなっていった。


夕方夫が帰宅。

結婚して21年になるが、あんなに声を上げて泣いた夫をみたのは初めてだった。


獣医さんから電話がかかり、追加の血液検査の結果を教えてくれた。 糖化グリコーゲンの値は正常だったので、死因は心筋症の可能性が最も疑われると言われた。


3人でショコラを囲んで泣いた。そして、感謝の気持ちを伝えた。3人で話し合って、人間と同じようにお葬式をしてお別れすることにした。動物の家族葬を扱っているところに電話すると翌日と翌々日の日曜祭日は火葬はお休みなので、25日の火曜日になると言われた。


三晩、ショコラと布団を並べて一緒に寝た。

2月はまだ寒いはずなのに、亡くなった日からちょうど葬式の日までは穏やか気温が続き、暖房をつけないで傍で過ごすことができた。両親が亡くなった時と同じように保冷剤をこまめに変えながら過ごした。ショコラが良くお昼寝した場所で休ませていると、本当にまだそこにショコラがいるような気がした。それまでの日常と変わらない光景なのにショコラは息をしていなくって、ずっと夢を見ているような非現実的な世界にいるような感覚だった。

お葬式当日の25日。

娘は元々学校の土曜振替休日で友達とディズニーランドに行く予定にしていた。何か月も前から楽しみにしていたが延期してお葬式に立ち会うことを選んだ。大学で教える夫もその日は授業がなく立ち会うことができた。家族全員でショコラを見送れたのもショコラの計らいかもしれない。市内にある白峰寺に行く前、家の隅々までショコラを連れて最後のお別れをした。


火葬が終わるのを待っている間、他の飼い主さんと少し話をした。もう何度も飼い猫ちゃんとお別れをしているけれど決して慣れることはない、と仰っていた。同じ哀しみを少しでも共有できた時間は慰めとなった。

火葬後、小さくなったショコラの遺骨と対面し、皆で骨壺に納めた。


もう、ショコラは本当にいなくなったんだ、と納得した。


一旦は納得したものの、もっと早い段階でなぜショコラの状態に気がついてやれなかったんだろうかと悔やみ、自分を責め、罪悪感はどんどん増していった。

来る日も来る日も心筋症について狂ったようにネットで調べた。そんなことをしてもショコラは戻ってこないのはわかっていたが、どうしても納得できなかった。調べていくうちに、いろんなことがわかった。ショコラによく似ている長毛種は遺伝的に心筋症になりやすいこと、みつかっても根本治療はないこと、7歳まではレントゲンでもみつけにくいこと、心筋症にも色々とタイプがあること等。


命は助けられなかったかもしれないけれど、最期の息苦しさを和らげることくらいはできたんじゃないか、医師か獣医だったら医療的処置を施してやれたかもしれない、と悔やんだ。しかし、その考えは間違いだということが後にわかった。「ショコラは敢えて娘さんに最期を見せないよう息を引き取ったんだと思う」と言ってくれたかたが、こんなお話もして下さった。ご実家で何十年も絶えず犬がいる生活を送っていて、一時期は歯科医のお兄様が看取りの最期に酸素ボンベを使っていたこともあったけれど、「もうやめよう」と家族で一致して自然に看取ることにした、酸素ボンベを使うのは苦しい時間を長引かせるだけだと考えを改めたそうだ。ご経験に基づいたお話にどれだけ救われたか計り知れない。


よく考えると、ショコラが亡くなる前に前兆とも思えることがあった。

昨年末、一生にあるかないかの不思議なことが起こっていた。まるでショコラの死を予言しているかのような出来事だった。ショコラの亡くなる前々日、窓際の陽だまりの中でショコラが格別に気持ちよさそうに寝ている平和な姿をみて「うちに来て幸せって言っているみたい」と思った。前日の夜、いつものようにショコラがお風呂場にやってきて湯船に浸かる私をじーっとみつめた。それまで見た中でも最高に愛くるしい顔だと思った。まるで、「ずっと憶えておいてね」と言っているみたいだった。


亡くなったあと暫くしてからあることに気づいた。

命日は令和2年2月22日、西暦にすると2020年2月22日。

それぞれを足すと「8」と「10」。

私の誕生日は8月10日だ。

こんな偶然、あるだろうか。

「私がお空にいったのはお母さんのせいじゃないよ。私はこの日を最初から選んでいたんだよ。お空からずっとお母さんとお父さんとお姉ちゃんを見守っているからね。お母さんはもう自分を責めないで」そう聞こえた気がした。ショコラの愛情を魂で感じとった。


先のブログにも書いたが、娘はショコラが亡くなった時に「ショコラがいた6年間といなかった6年間は全然違っていたと思う」と言った。私も心からそう思う。できることなら、一緒に年を重ねていきたかった。おばあちゃんになったショコラをみたかった。その願いはかなえられなかったが、ショコラは自分の寿命を生き切ったと今は思える。寿命は誰かが決めるものではないし比較するものでもない。


誰も自分の寿命はわからない。

確かなことは死亡率は100%だということ。 私もいつかはお空に旅立つ。

その時はまたショコラに再会して思いっきりモフモフしたいな。 きっとまた会える。そう信じたい。


bottom of page