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今、SNSを考える

前回の記事に引き続き、SNSとの関わりについて自分の考えを書こうと思う。 去年の9月、Facebookの個人アカウントを中止した。理由は、先祖代々受け継いだ不動産の登記変更作業に集中するためだったが、それに加えて、実際にFacebookで起こった話を聞いたのがきっかけとなり、Facebookを含むSNS全ての関わりかたを見直した。


聞いた話しとは…

仮にAさんBさんCさんとしよう。 Aさん「BちゃんのFacebookは読んでいるけど、(同じ仲間の)Cちゃんの投稿は読む気がしなくて見ていない。だけど、Cちゃんには悪いから私はCちゃんにはFacebook自体をみていないってことにしている。 もし、Bちゃんの投稿に私がいいねしたら、Cちゃんは気を悪くするだろうからBちゃんにもいいねできないの。ごめんね」


なるほど。 AさんはそこまでしてCちゃんと付き合う必要があるんだろうかと思いつつも、

世の中にはここまで配慮できる人がいて、実はその配慮こそが知人同士のSNSのエチケットなのかもしれないと思った。

我が身を振り返ってみると、自分はそこまで気は回らず、間接的に誰かを傷つけてきたかもしれない、と立ち止まった。 できるだけ差がでないよう、Facebook利用をPCのみに限定してみてはいたが、やはりFBフレンズ全員の投稿を見る時間的余裕はなく差は生じてしまう。


Facebookには友人の近況を気軽に知れるメリットはあるとは思う。 しかし、前述の例のように、同じFBフレンドでも、いいねする人とそうでない人とが出てしまうことや、知り合い同士のコミュニティにおいて、目に見える形で評価したりされたり、或いはスルーしたりされたりするのは、なんとなくいじめの構図と似ているようにも思える。 そういったやり取りから少し距離を置いてみることにした。 そして、実生活の友人とはSNSを通してではなく個々のやり取りで繋がっていくことにした。ブログもしかりで、私は、友人や知人に私のブログを読んでもらっているのが大前提とは思いたくない。 読んでくれていたら説明は省けるから楽は楽だし、自分をより知ってもらう手段にはなるが、読むも読まないも相手の自由で、押しつけるものではないと思う。 相手は読んでいないことを前提に、一人一人と互いを理解しあうためのコミュニケーションを大事にしていきたい。

前回シェアした動画の通り、SNSは中毒性が高く、非現実の世界で勘違いしていることに気がつかない危険性がある。

これからは、SNSの利点と欠点それぞれを踏まえた上で、うまくつきあっていきたい。 そして、目の前にある現実の世界を大切にしていきたい。


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