三次でコンサートを開くことが決まったとき、ずっと連絡をとりたかったあるかたにメールを送りました。
2011年5月、父が亡くなる前、 父にどうやって接したらいいか悩んだとき、病院の社会福祉士さんを通して相談にのっていただいた、ターミナルケア(終末期医療)専門の福山先生です。福山先生は偶然にも郷里三次で在宅訪問医療専門のグリーンクリニックを開業されたばかりでした(名前にも運命を感じました)。福山先生からのご返事に私たち家族がどれだけ励まされたか計り知れないほど沢山の勇気をいただき、父を看取る心の準備ができました。
福山先生のお言葉は、私だけではなく同じような状況にある全ての方々を励ましてくれるに違いないと思い、父が亡くなった翌年、私はFacebookのノートに先生の許可を得て以下の記事を投稿しました。
<広島県三次市グリーンクリニック院長福山先生のメール>
2012年5月29日 16:09
5月31日は父の命日です。
過日・一周忌法要を無事終えました。
父は身をもって娘である私に「死」について教えてくれました。
生と死に立ち会うことで、人として始めて地に足がついたよう気がしました。
誰にも訪れる最愛の人との別れ。
去年のちょうどこの時期、余命僅かな父にどうやって接すべきか悩んだとき、
病院の社会福祉士さんを通して、ある終末期医療専門の先生を紹介していただきました。
先生のメールに、家族がどれだけ励まされたか計り知れないほど、沢山の勇気と父の死を受け入れる覚悟を頂きました。
皆さんとぜひ、共有したいと思い、先生の許可を得た上でノートに掲載させて頂きます。
愛あふれた「看取りの瞬間」ができるだけ多く存在することを、願ってやみません。
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はじめまして。
グリーンクリニック院長の福山耕治です。
返信が遅れてしまい申し訳ございません。
終末期にあるお父上のご看病で大変なご心労お察し申し上げます。
メールを拝読いたしました。
まず、私は在宅医療を専門としており悪性腫瘍のターミナルの患者さんも担当させていただくこともありますが、悪性腫瘍のターミナルケア専門という訳ではありません。
しかしながら、在宅医療は主に通院が困難なお年寄りを対象とするためある意味では人生の終末期を多く診させていただいております。
以下に私が申し上げることは「癌の専門医」というよりも「高齢者の専門医」としての意見であり参考になるかどうかはわかりませんが、何かのお役に立てるかも知れませんので私の意見を述べさせていただきたいと思います。
メールの文中の内容あるいは最近の緩和ケアの流れから、おそらくお父上は腎臓がんの末期である旨の告知を受けておられることと推測いたします。
告知されている事を前提として申し上げさせていただきますと、今必要なことは「良かったさがし」ではないかと思います。
メールの文中の内容から見るに、お父上はご家族の「痛くないか?」「悪いところはないか?」の質問にうんざりされているようです。
われわれ医療者も同様に診察などで「どこが悪いですか?良くないですか?」と「悪かったさがし」をしてしまいますが、ご本人の立場からするとマイナスの感情を増してしまいます。
もちろん、ご本人が痛みや苦しみをご自分から訴えられたときには「共感」や「いたわり」が必要です。
それ以外の時にはこれまでの人生で「良かったこと」を尋ねてみられると良いと思います。
死の受容にはいろいろな段階があり、今お父上がどの段階におられるかはわかりません。
平均寿命より早く死期が近付いている無念のお気持ちもあるかも知れません。
周りのご家族もやるせないお気持ちを抱いておられるとお察しします。
ただ、私を含め誰一人として死なない人はいません。死は平等にやって来ます。
私はこれまで医師としてたくさんの方の死亡診断をさせていただきました。
それぞれの方が、私と同じように、生まれて、生きて、そして亡くなられました。
中には若い時に悪いことをした人もおられたでしょうし、善行を積まれた人もいらっしゃったと思います。
亡くなること自体は決して憐れなことでもなければ、ましてや可哀想なことでもないと感じるようになりました。
いろいろな死を拝見して思うことは、「自分の人生は素晴らしかったんだ。」と思いながら亡くなるのが最も良い亡くなりかただと思います。
お父上は奥様や娘さんから大切にされておられるようですので、きっと素晴らしい人生を送ってこられたことと思います。
腎臓がんで死期が近づいておられるとは言え素晴らしい人生に違いはありません。
ですからその人生が「どう素晴らしかったか?」をご家族でいろいろ思い出してみられてはいかがでしょうか?
いろいろと差し出がましいことを申し上げてしまったかもしれません。
しかし、ご近所に弱々しい姿を見せまいと頑張っておられるお父上の気丈さに心を打たれ、私の最も良いと思うことを申し上げました。
失礼があったかもしれませんがご容赦ください。
お父上の安らかな療養生活をこころよりお祈り申し上げます。
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父が他界したあと、落ち着いたら先生へお礼のご挨拶に伺いたいと思っていたら、今度は母が病に伏せ父の後を追うように亡くなりました。
結局、メールでのやり取りのみで、直接お会いする機会を逃してしまい、ずっとお礼を言いたい気持ちが心の中にくすぶっていました。
「ダメ元で、先生をコンサートにご招待しよう」
ドキドキしながら久しぶりにメールを送り、コンサートの案内を送ったところ、来てくださるとのご返事を頂きました。
私が想像していたよりもうんとうんとお若くて、最初別のお客様と間違ってしまうほどで、大変失礼なことをしてしまいました。。。
しかし、コンサート後にお話をさせていただいて、あのお優しいメールと同じように、先生のお人柄がにじみ出る語り口調に直接接することができて、最初にご返事を頂いたときの心境を思い出し胸が詰まりました。
翌日、写真と共にこんな素敵なメッセージを送ってくださいました。
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昨晩は素敵なコンサートにご招待いただき誠にありがとうございました。
お寺という一風変わった場所でアットホームな雰囲気の中MIDORiさんの歌声に魅了されました。
コンサートは僕の想像を遥かに超えていました。
そして、曲と曲の間のMCでMIDORiさんの思いや祈りが伝わりました。
昨日はこれまでで一番記憶にのこる8月6日となりました。
三次出身の方でこんなに素晴らしいsingerが…と感動しています。
これからのますますのご活躍を心よりお祈り申し上げます。
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再び、先生のメールに励まされました。
幾度となく人の死を看取って来られた先生の瞳は澄んでいて控えな優しい光を放っておられました。
自分の最期を、最も安らげる場所で送ることができたらどんなに幸せなことだろうかと思います。
三次には、福山先生という心強い医師がそばにいてくださることを羨ましく思います。
先生のご許可をいただいて写真を掲載します。
二人ともちょっと照れ隠し的なピースサインですね。
これからもずっと福山先生は私たち家族の恩人です🍀