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大きな転機 その2

その1はこちら


「お母さんはすごいことをやろうとしているね。誰もができることじゃないよ」 もう一つの大きな転機について娘がこう言ってくれた。


以前このブログにも書いたことがあるが、一昨年の秋、全国に拡がる山林の盗伐・皆伐の問題を偶然テレビで知り、広島県庄原市総領町にある先祖から譲り受けた山々のことを真剣に考え始めた。

両親が他界してちょうど10年。

この間、田舎には年に1回風を入れに帰る程度で、登記のことも含めて先送りにしていた。

時が来たら考えようと思っていた。

テレビを見て、スイッチが入った。


まずは林業のことから学び始めた。

動き始めた途端、ものすごい勢いで縁が繋がっていった。

あっという間に山の管理の方向性は決まったが、差し当たっての問題は「山」ではなく「家」だとわかった。

コロナ禍で田舎に帰省できなかった約3年、母屋の荒廃が予想以上に進んでいた。

去年の3月、久しぶりに帰省すると家の周りは草が生い茂り床は至るところが抜けおちていた。変わり果てた母屋を眼の前にしてこれ以上悠長に構えていられないと意を決した。


その4か月後再び帰省し、庄原にある古民家一棟貸「せとうち古民家ステイズ」の再生を手掛けた奥田工務店取締役代表、奥田順紀さんを訪ねた。


会った瞬間に「もうこの方しかいない」と直感した。

その時の模様はこちらの記事に詳しく記録している。


翌日、奥田さんに田舎の母屋の状態を確認してもらった。


「今まさに、自然に還るか、それとも家として存続するかの瀬戸際にあります。今なら何とかまだ間に合うかもしれない」


待ったなしの状態だった。

「どういう形でどこまでお願いできるか今はまだわかりませんが必ず方法をみつけます。お力を貸していただけないでしょうか」


そうお願いすると、奥田さんは古民家を守りたいという私の想いをしっかりと受け止めてくださり、


「みどりさんが諦めるまで私も付き合いましょう」と言ってくださった。


奥田さんはエンジェルだと思った。


こうして奥田工務店さんという強力なメンバーを迎え、田舎再生プロジェクトがスタートした。この場所に多くの人が集えるようにしたい、国籍、年齢問わず、「みんなの母屋」みたいなほっとできる空間にしたいという想いを込めて「OMOYAプロジェクト」と名付けた。


具体的にどう改修していくかを考えるには予算を明確にしなければならない。

自己資金のみではとても太刀打ちできないので、どうやって進めていくか来る日も来る日も調べて考えた。 大学時代のスペイン人の恩師の言葉「必ず解決策はある」を反芻し、何の根拠もないのに何とかなりそうな気がしていた。

やがて「単に改修しても頻繁に帰省できるわけではないから、私の代わりに人が来てくれる仕組みを作ろう」と思い始め、新しく事業を起こすことを思いつき私でも申請できる国の補助金をみつけた。


申請準備は難航を極めた。

ビジネス経験ゼロに等しい私がいきなり専門的な数字をはじき出して事業計画書を作成するなんて無謀としか言いようがなかった。100万円くらいコンサルに払えば作成してくれるが、そんな余裕はない。

自分でやるしかなかった。

何度も諦めようと思った。

ところが「ああもうダメ。私には無理」と思って寝ると、決まって夢に先祖が出てきて「続けなさい」と言われ、目が醒めてもう少しがんばってみようか、という気になる、を繰り返した。そのうち少しずつ理解できていき、7割方まで書けていた。


そして今年3月、締め切りまであと12日と迫ったある日のこと。


どうしても数字の部分が心許なかったので、ヒントとなる情報がないかネットで調べていたら、突如「バケーションレンタル事業」というワードが目に飛び込んできた。

宿泊業の運営は現実的に考えてとても自分には無理だとあきらめ、バリアフリーのレンタルスペース事業として申請しようと思っていた。

しかし、そのサイトには、まさに自分の理想形が描かれていた。

「一日から貸せる家」
自分にとっての「別荘」が誰かにとっての宿になる

自分が泊まりたいときは自由に泊まれて

不在の時は誰かに使ってもらう。

運営は管理会社に任せる。


さらに驚いたのが、このサイトの企業は私が申請しようとしていた補助金を活用した実績が何件もあった。


とにかく連絡してみよう!と、コンタクトからメッセージを送ったところ、早速返事が来てオンラインミーティングを行った。

タイミングからして「次回の申請にしましょう」と言われてもしかたなかったが、素人ながらに7割方書いていた事業計画書が評価され、諦めていた宿泊業に転換し、根拠のある数字とマーケティングデータを加えれば間に合いそうだということになって、ギリギリでバックアップしてもらえることになった。

まるで魔法にかけられたように一週間ちょっとで説得力のある事業計画書に仕上がった。

さらに、今年1月入会した地元の商工会「備北商工会」に認定支援機関確認書を発行してもらい、全ての申請手続きが完了した。

やっと数か月に及ぶ申請準備から解放された。

一番うれしかったのは、毎日発狂しながらパソコンに向かう私に娘が「めちゃくちゃ大変そうだけど、お母さん、かっこいいね。」と言ってくれたことだった。ダメだったとしてもチャレンジしたことに悔いはなかった。


そして結果発表の6月某日。

厳正な審査の結果、貴殿の応募案件は「通常枠の補助金交付候補者として採択」となりました。

採択結果「関東ブロック」より)

娘の高校合格発表の時と同じくらい嬉しかった!!! 無事「第9回事業再構築補助金」に採択され、本事業(音楽事業)の補助事業として正式に認められた。採択率は40%台。しかも私のような超弱小個人事業主はかなりレアらしい。 やるべき時にやるべきことをやると、必ず追い風が吹く。 すべてが報われた喜びを嚙締めたのもほんのつかの間、今度は来年の7月までに開業準備を終わらせなければならないというプレッシャーがのしかかってきた。

今回は経費削減のため、自分でできることは全て自分で行う。

14年前の自宅古民家移築再生の時は、見えないところで設計士さんがかなりきめ細かく動いてくれていたのが今になってよくわかる。

現時点ですでに大変だと感じているのでこの先どんな困難が待ち構えているかわからないが、古民家再生移築の経験が今回の一大プロジェクトの支えとなっていることは間違いない。14年前の資料を引っ張り出し、あの時できなかったこと、やりたかったことを今回の再生で何とか実現できたらと思っている。 建築好きの私にとってはワクワクが止まらない事業だ。

先祖から譲り受けた大切な母屋を多くの方々に愛される場所へと蘇らせたい。

とにかく、この1年が勝負。

申請がフルマラソンなら、完成まではトライアスロンだ。


奥田工務店さん、備北商工会さん、そしてハウスバードさんの最強トライアングルと、いつも応援してくれる大切な友人や親せきの力を借りて、必ずこの大事業を成し遂げたい。

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